2022年6月12日
自宅の窓から見えるエゾマツには、今年も例年通りハシボソガラスが営巣している。ハシボソガラスはハシブトガラスより少なく、より緑の多い場所を好む。体は一回り小さく鳴き声は「ガーガー」と濁っており、とりわけ営巣期は騒がしくもある。
雛は成長して巣立ちも近いようだ。そんな折の夕暮が近づきつつあるとき、いつもより激しく鳴いており、不審に思い窓の外を見ると、営巣木に近い道路脇に小さめのキタキツネを見つけた。
カラスはキツネを警戒して鳴いていたのだ。キツネは冬にもやって来た若いキツネだろうか。それにしてはずいぶんと痩せている。親ガラスが激しくキツネの頭上を威嚇する。
たまらずキツネはこちらに向かって坂を降りてきた。そして目の前の道路を挟んだ駐車場に座ったのち、狭い車道を右に下っていった。僕が玄関を出たときには既にキツネの姿はなく、道路を下っていくと通りがかりのおじさんが、左の道に行ったと教えてくれたので、その方向へ行ってみたが姿は見られなかった。
キツネがいた場所に戻ってみると、カラスの雛が死んでいた。まだ白い産毛(うぶげ)が残っており、黒い毛もまだ生えそろっておらず、毛が薄い部分もある。巣から落ちたのだろう。
先日強風が吹いていたので煽られでもしたのだろうか。6月といっても早朝はまだ肌寒くて耐えられなかったのかもしれない。後日、亡骸を裏返してみたが外傷らしきものはなかった。もうすでに傷(いた)んでいたのでいたのか、キツネも手を付けられなかったのだろう。なんとか食べ物にありつければいいのだが。
後日、死んだ雛の傍の街路灯の上にハシボソガラスの親鳥がとまり、雛の方向に向かって鳴き続けていた。他の雛は巣立ったのかどうかはわからないが、それっきりカラスは姿を消した。お別れの挨拶だったのかもしれない。
しばらくして、今年初めて近所で営巣したコムクドリの雛も巣立ち、賑やかだった鳥たちの声も途絶え、辺りはすっかり静かになった。これから夏を迎えるというのに何やら寂しさを覚えた。
しかしそうした生き物たちの営みが、どれほど気持ちに潤いを与えてくれているのもだろうか。たとえ姿は見えなくても彼らの存在そのものが支えとなっている。
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